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ウルグアイでの実習指導奮闘記

我ら国境なき臨床化学者たち

ちなみに、ウルグアイという国がどこにあり、どんな国か知ってますか?「それって、ワールドカップで日本が負けた国じゃない?」違います。それはパラグアイです。多くの日本人にとっては、ウルグアイって、あまり関係がなく、なじみの薄い国でしょう。筆者は2010年暮れにこの南米ウルグアイを訪問する機会に恵まれました。これはめったに一般の人が行かないような場所を観光しようとしたわけではありません。れっきとした学会活動の一環なのです。International Federation of Clinical Chemistry and Laboratory Medicine(IFCC:国際臨床化学連合)の組織には、(1)Scientific Division、(2)Education & Management Division、(3)Communication & Publication Divisionの三つの機構が備わっています。その中のEducation & Management Divisionに含まれる委員会の一つが、Committee On Clinical Molecular Biology Curriculum (C-CMBC)です。


筆者は2009年よりこの委員会の委員を務めており、その委員会の活動としてウルグアイを訪れたのです。思い返せば、2008年頃に、当時日本臨床化学会の国際交流委員長を務められていた安東由喜雄熊本大学教授(現日本臨床化学会代表理事)から誘われたのがきっかけでした。「先生、今度IFCCの委員に日本臨床化学会から誰か推薦せんといかんのやけど、先生にお願いできん?」「それはいいけど、どんな委員会?」「ようわからんけど、多分年に一回くらい海外の会議に出ればいいんやと思うよ。」「だったら構わんですよ。」しかし、実際の委員会活動は、安東先生が言われたものとはずいぶんと違っていました。決して安東先生が悪いわけではありません。この委員会の活動は初めての試みであり、まだIFCC関係者でもよく知らなかったのですから。

 C-CMBCの目的は、分子生物学の技術を学ぶためのカリキュラムを構築し、それを教えるためのトレーニングコースを実施することとなっています。具体的には、毎年どこかの開発途上国に委員が赴き、そこで初心者を対象として分子生物学のトレーニングコースを約一週間の期間で実施するというかなりタフな活動なのです(図1)。

図1 トレーニングコース実施の概略
トレーニングコース実施の概略を示しています。コースの開催国を決定し、そこに近隣地から受講生を募ります。委員が所属する研究室は主催団体より予め情報を得るとともに、必要な試薬や機器を現地に送付しておきます(“Lab-in-a-suitcase”と呼ばれます)。そして、委員が現地に赴き、コースを実施します。

毎年海外に渡航するという点では安東先生の説明通りだったのですが、訪れる国は学会が開催されるような先進国ではなく開発途上国だという点と、実際行う活動が会議ではなく一週間の実習であるという点が、予めの説明と異なっていたのでした。この委員会はハイデルベルグ大学マンハイム校(ドイツ)のMichael Neumaier教授を委員長とし、サンラファエル科学研究所(イタリア)のLaura Cremonesi博士(2011年より米国バージニアコモンウェルス大学のAndrea Ferreira-Gonzalez教授に交代)、アテネ大学(ギリシャ)のEvi Lianidou博士、そして筆者の全部で4名という極めて国際色豊かなメンバーで構成されています(写真1)。

写真1
左よりCremonesi博士、Neumaier教授、Lianidou博士、筆者。会場となったFacultad de Quimíca(ウルグアイ、モンテビデオ)前で。

2009年にシリアのダマスカスで初めてのトレーニングコースが開催されました。この委員会の活動内容が何なのかまだ全く分かっていないでいる頃、突然来月シリアに行ってくれというメールが届き、何が何だかわからないままこの時のコースには不参加で過ぎてしまいました。2010年には、予めドイツで打ち合わせ会議が催され、それに参加してようやく委員会の内容を理解することができました。もう後に引くこともできず、その年の暮に開催されたウルグアイのモンテビデオでのコースに参加したのでした。ちなみに、2011年にはグアテマラのグアテマラシテイでの開催が予定されています。

それでは、ウルグアイでのコースからその内容をご紹介します。表1に代表的な一日のスケジュールを示しています。

表1 トレーニングコースの一日
ウルグアイでのコースにおける典型的な一日のスケジュールを示しています。

まず午前9時より当日の実習の説明を行い、その後約3時間の予定で実習を行います。受講生は応募から選考された約20名ほどで、4-5名のグループに分けられます。ウルグアイの場合、受講生は、企業の社員、大学院生、医師などが多数でした。委員が各グループに配置されて操作の指導を行います。


実習の日毎のテーマは、①試薬の調整、②血液からのDNA調整とゲル泳動、③基本的なPCR操作、④アレル特異的RFLPとPCRの実施、⑤データベースを用いたプライマーデザインとシークエンス確認となっています。昼食後当日行った実習の結果について評価と討論を行います。その後、講義が1ないし2時間行われて終了となります。

講義中のMichael

講義のテーマは、①遺伝病とその診断、②分子腫瘍学、③ファーマコゲノミックス、④分子微生物学、⑤分子生物学の先端技術などで、委員が分担して演者を務めます。実習で用いる試薬や機器は、いくつかの企業の協力によって準備し、現地に送付して使用しています(このコンセプトを“Lab-in-a-suitcase”と呼んでいます)。5日間のコースとなっていますが、これとは別に、初日前日にプレコースとして分子生物学の基礎についての説明を行います。また、最終日には筆記試験を行って、それに合格すると(実際全員合格しました)証書がもらえるようになっています。

コースの最後にMichaelより合格証書を授与される受講生たち

このコースに参加してまず最初に驚いたことは、受講者が全員女性であることでした。聞けば、ウルグアイでは、化学、薬学の分野は女性がほとんどを占めているとのこと。医師においても半数以上が女性だそうです。男性が多い分野は法律関係や工学などに限られるとのこと。一般に、女性の方が男性より高学歴ということです。男性は家族を養うために大学に進学するよりは早く仕事に就くことを選ぶ傾向があるため、大学へ進学するのは女性の方が多くなるのだそうです。次に驚いたのは、彼ら受講生はけっこう時間にルーズだということでした。毎日朝9時にコースが始まるのですが、時間までにきちんと集まっているのは半分くらいでしょうか。当日の実習についての説明を行っていると、少しずつ受講生が増えてきます。しかも、遅刻したという申し訳なさみたいなものは感じられず、皆堂々と部屋に入ってきます。これをラテン気質と呼ぶのでしょうか。これには筆者以外のヨーロッパ人である委員たちも呆れていました。しかし、彼らが不真面目で、意欲に乏しいというわけでは決してありません。実習の内容にも積極的に取り組み、質問も活発に行います。このコースを契機として委員との関係を構築し、自分のキャリアアップにつなげようとする上昇志向の受講生も中にいます。また、コースの最終日近くには、お世話になったと委員たちをウルグアイタンゴの観賞に招いてくれるなど人懐っこさも示してくれました。

食事をしながらウルグアイタンゴを観賞する委員と受講生たち

委員の間でのコミュニケーション作りも大きな課題でした。何せ、このトレーニングコース前に顔を合わせたのは、打ち合わせ会議の際の1回切り。どのように指導するのかもよくわからないぶっつけ本番でした。しかも、当然のことながら全て英語でのやり取り。コース前に抱えていた不安と緊張感はとてつもないものでした。委員たちは同じホテルに宿泊し、朝食を共に取り、コースに参加した後、ホテルに戻ってから再び一緒にお酒を飲みながら夕食を取り、一日を振り返ります。まさに、寝食を共にしての生活を毎日続けていきます。こうしているうちに、同じ目標に向かうチームとしての連帯感を次第に感じるようになってきました。ある時、Eviが、「私たちのミッションって“国境なき医師団”と同じようなものだと思わない?」と言いました。別に、国境なき医師団のように戦場や被災地のような場所に行くわけではありません。しかし、自分たちのことを“我ら国境なき臨床化学者たち”と呼んでもいいかもしれないなと思っていました。

このトレーニングコースは、その構想が初めて打ち出されたのは2003年であり、実際にはまだ2回しか開催されていない非常に実験的な教育活動です。まだまだ数多くの課題と改善点を抱えています。しかし、このコースは現地での受講生にとってだけではなく、現地に赴いた指導する側にとっても大きなものを得うる野心的な試みだと言えます。今後、この教育活動がどのように発展し、そこからどのような成果がもたされるか期待は大きいでしょう。

(平成23年10月記)