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ジェネンテック社訪問記

出原 賢治

筆者は、2013年1月にアメリカカリフォルニア州のサウスサンフランシスコに在るジェネンテック(Genentech)本社を訪問し、講演を行う機会を得ました。ジェネンテック社については特別な想いを持っていましたので、この訪問記にそれを書こうと思います。

まず、ジェネンテック社の概要についてお話し致します。ジェネンテック社は1976年に創立されたバイオベンチャー企業です。ベンチャーと言っても、総従業員数11,000人で、売上高は日本の製薬会社の最大手である武田薬品工業を上回る巨大製薬会社です。2009年からはロシュグループの傘下に入っています。

ジェネンテック本社はサンフランシスコのすぐ南(車で15分程度)に在り、サンフランシスコ湾に面しています(図1,2)。この辺りはいわゆるBay Areaと呼ばれている地域です。個人的な話になりますが、筆者は1991年から1994年まで同じBay Areaのパロアルトに在るDNAX分子生物学研究所に留学していました。Bay Area辺りはシリコンバレーとも呼ばれ、バイオだけでなく、IT関連の先端的企業も数多く存在します。アップル、グーグル、ヤフー、フェイスブックなどがそれに相当します。教育レベルが高く、起業精神が旺盛な人たちが数多く住んでいます。ジェネンテック社がこの地に創られ、成功を収めたのは決して偶然ではないのです。

ジェネンテック社については、留学した頃よりその存在を知っていましたが、その詳しい創立の経緯を知り、強い印象を受けたのは、ジェームズ・D・ワトソンが書いた「DNA」(講談社刊)を読んでからです。この本は、遺伝子研究に関する歴史や内容が、わかりやすく、かつ面白く述べられた名著であり、この分野に関心をお持ちの方にはぜひお薦めの一冊です。この本の中で、ジェネンテック社を創立した研究者であるハーブ・ボイヤーと投資家であるボブ・スワンソンとの出会いが詳しく述べられています。

カリフォルニア大学サンフランシスコ校の教授だったハーブ・ボイヤーは、スタンフォード大学の教授であったスタンリー・コーエンと共同して、大腸菌の中で目的とする遺伝子を発現させるためのDNA組み換え技術を、1970年代前半に開発しました(図3)。この技術を実現するためには、遺伝子からタンパク質を作るための装置であるプラスミドに、目的とする遺伝子を組み込むことが必要でした。ボイヤーは、プラスミドや目的とする遺伝子を切断するための制限酵素について研究しており、プラスミドについて研究していたコーエンと共同することで、このDNA組み換え技術を可能なものにしました(図4)。ちなみに、スタンフォード大学もBay Areaに在り、カリフォルニア大学サンフランシスコ校とは車で約1時間ほどの距離です。

このDNA組み換え技術の開発により、ヒトが持っているタンパク質を大腸菌の中で簡単に、かつ大量に作ることが可能となりました。もし、薬剤となりうるタンパク質をこの技術を使って生産すれば、医学における画期的な技術となります。今では、大学などの研究施設で生まれた先端科学技術を企業化する試みは当たり前のこととなっていますが、1970年代当時にはまだそうした試みはありませんでした。投資家であるボブ・スワンソンは、このDNA組み換え技術に目をつけ、ボイヤーに声をかけました。サンフランシスコのチャールズ・バーというお店で、スワンソンはビールを飲みながらボイヤーをくどき、二人で会社を作ることに合意しました。こうしてできた会社がジェネンテック社でした。まず最初に彼らはインスリンを作ることを目指し、それに成功しました。糖尿病の治療薬であるインスリンは、それまで牛や豚といった家畜の膵臓から精製されていましたが、彼らの成功により、はるかに安価で安全な(ヒトのタンパク質だから家畜のタンパク質のようにアレルギー反応を起こすことがない)インスリンを供給できるようになりました。こうしたバイオベンチャーを立ち上げる動きはその後加速化され、今ではごく普通のこととなっています。このように先端的な科学技術がバイオベンチャーと結びつくことで、科学技術の成果を社会に還元できるようになるとともに、また逆にそれが科学技術の開発にとっての推進力ともなりました。こうしたことから、ジェネンテック社の誕生とその成功は、医学の歴史におけるエポックメイキングな出来事の一つであったと言えます。

サウスサンフランシスコのジェネンテック本社には、スワンソンがボイヤーをバーでくどいている場面の彫像があると聞いていました。そこで、機会があれば、ぜひそれを見てみたいと以前より思っていたところ、今回その機会が巡ってきたのです。ジェネンテック社での講演後、社員の方に彫像まで案内してもらいました。広大なジェネンテック本社の敷地の中、カフェテリアの中庭に、他の普通のテーブルといすに交じって、スワンソンとボイヤーの彫像は置かれていました(図5)。その彫像は、熱弁をふるうスワンソンと、じっとその話の内容に耳を傾けるボイヤーとの対照的な構図となっていました。彼らの隣の席に座っていると、1976年当時の医学に新しい歴史を作ろうとする熱い空気が伝わってくるようでした。

図5 ボブ・スワンソン(左)とハーブ・ボイヤー(右)の彫像

*DNA(講談社刊)からの図の引用は講談社の許可を得ています。

(平成25年3月記)